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詩人まど・みちおさんが亡くなった

詩人のまど・みちおさんが亡くなった。 104歳で老衰だったそうな。 「ぞうさん」「やぎさんゆうびん」「一ねんせいになったら」「ふしぎなポケット」など、 童謡の歌詞を書いていることでも有名だ。

5年くらい前だったかな。まど・みちおさんの展覧会を見に行った。 手書きの原稿やイラストたくさん並んでいたが、 「トンチンカン夫婦」という詩がとても面白くて笑ってしまったのを覚えている。

  「トンチンカン夫婦」 まど・みちお

  満91歳のボケじじいの私と   満84歳のボケばばあの女房とはこの頃      毎日競争でトンチンカンをやり合っている   私が片足に2枚かさねてはいたまま   もう片足の靴下が見つからないと騒ぐと   彼女は米も入れてない炊飯器に   スイッチを入れてごはんですようと私をよぶ   おかげでさくばくたる老夫婦の暮らしに   笑いはたえずこれぞ天の恵みと   図にのって二人ははしゃぎ   明日はまたどんな珍しいトンチンカンを   お恵みいただけるかと胸ふくらませている   厚かましくも天まで仰ぎ見て‥‥

つい先日、「お山ボーイズ」のライブでは山田さんがまどさんの詩を2篇朗読していた。 「ぞうきん」と「消しゴム」という詩だ。

  「ぞうきん」 まど・みちお

  雨の日に帰ってくると   玄関でぞうきんが待っていてくれる   ぞうきんでございます   という したしげな顔で   自分でなりたくてなったのでもないのに

  ついこの間までは   シャツでございます という顔で   私に着られていた   まるで私の   ひふででもあるかのように やさしく   自分でそうなりたかったのでもないのに

  たぶん もともとは   アメリカか どこかで   風と太陽にほほえんでいたワタの花が

  そのうちに   灰でございます という顔で灰になり   無いのでございます という顔で   無くなっているのかしら   私たちとのこんな思い出もいっしょに   自分ではなんにも知らないでいるうちに

  ぞうきんよ!

  「消しゴム」 まど・みちお

  自分が 書きちがえたのでもないが いそいそと けす   自分が書いた ウソでもないが いそいそと けす   自分がよごした よごれでもないが いそいそと けす

  そして けすたびにけっきょく   自分がちびていってきえて なくなってしまう   いそいそと いそいそと

  正しいと 思ったことだけを   ほんとうと 思ったことだけを   美しいと 思ったことだけを   自分のかわりのように のこしておいて

いい詩だなと思った。 ところで、雑巾と消しゴムって似ていると思う。 どちらも消すものだ。 雑巾は汚れを、消しゴムは鉛筆の間違いを。 そして雑巾は汚れを落とすたびに自分が汚れ、消しゴムは小さくなっていく。

何かを得るために何かを失う、ともとれるだろうし、 何かを鎮めるために何かを失う、というニュアンスも感じられる。

もちろん、物質的に何かを失うのは雑巾や消しゴム自身なんだけど。 でもやはり、雑巾や消しゴムに失うものがあるのでは、と感じているのは人間だ。 雑巾や消しゴムにも精神や魂のようなものがあるとして、それを感じ、 心を寄せる時に、モノを通して人間の精神や魂のようなものを感じているのだと思う。 (なんだかずいぶん堅い言い方になっちゃったな・・・)

ところで、雑巾や消しゴムって最近使います? 使うは使うけどかなり機会は減った気がします。 これって得るものは良く分かるけど失うものは見えずらいという状況だったりするのかもしれないなぁ。 例えば自分が失われる側の存在だったらどう思うだろう。 失われてしまうんだけど、半透明で見えずらく、去る時に誰も見送りに来ない。 誰にもさよならを言えず、誰からも言われない。 うーん、寂しい。悲しい。 もしかしたら憤り、怒り、落胆するかもしれない。

僕の場合、ちょっと強がって見栄はって言うならば、 「ま、それもしょうがないかな」とも思うけど、どうだろう。 その瞬間もそう思っていられるだろうか。 (あれ、湿っぽい話になってしまった・・・)

ま、それは置いておいて、 できるだけきちんとありがとうとかさよならが言える人間になれたらなぁと思います。

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