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「火垂るの墓」をもう1度見てほしい

8/14(金)21時から『火垂るの墓』がテレビで放送されるそうだ。書きたいことがいっぱいあって長くなってしまうけど、『火垂るの墓』についてあれこれ書いてみた。「悲し過ぎて二度と見れない」という人には、こういう風に見たら別の見方ができるかもよ?という提案と、好きな人には、こういうところも気にして見たらもっと発見があるかもよ?という話です。

「悲し過ぎて二度と見れない」とか「途中で見られなくなる」とかいう話を僕は良く聞く。確かにとても悲しい映画だが、見れない理由は本当にそれだけだろうか?と思う。映画の中に目をそらしたくなるような、直視できないものが含まれているからじゃないか、と思うのだ。そしてそれは節子の死そのものにではなく、節子を死なせてしまう清太の判断の方にあると思う。物事の判断基準を人間関係よりも自身の快・不快に重きを置き、結果的に節子を死なせ、自分も死んでしまう。もちろん、節子の死も悲しいが、そこに至るまでの清太の行動に見たくないと思わせる現実が含まれていると僕は思うのだ。どうですみなさん、快・不快を物事の判断基準にしていませんか? 今は違っても昔はそうじゃありませんでした?

時々、ジブリ作品で一番何が好きか?という話になることがある。『千と千尋』『トトロ』『ラピュタ』『もののけ姫』と答える人が多い。そういう時に僕が『火垂るの墓』と答えると周りの人は一瞬固まって、計りかねるような目でこちらを見ることがある。もちろん、他の作品も好きなものはたくさんあるけれど、僕にとって『火垂るの墓』は1番とか2番とかランキングの中に入れられるような気分ではなく、完全に別に独立して大きな存在感を放っている映画なのだ。だから正確には1番ではなく、そういう意味で特別なのだ。

僕が『火垂るの墓』を見たのは中学生のころだったと思う。正直どう捉えていいのか分からない映画だった。その後、大人になるまで数度見た。ずっとひっかかっているものがあって、それが何かはよく分からなかった。そして、高畑勲監督の本を読んで、それが何か分かったのだった。

高畑監督は『火垂るの墓』の現代性についてこう語る。「清太のとったこのような行動や心のうごきは、物質的に恵まれ、快・不快を対人関係や行動や存在の大きな基準とし、わずらわしい人間関係をいとう現代の青年や子供たちとどこか似てはいないだろうか。いや、その子供たちと時代を共有する大人たちも同じである(「火垂るの墓」と現代の子供たち、より抜粋)」。またこうも語っている。「もしいま、突然戦争がはじまり、日本が戦火に見舞われたら、両親を失った子供たちはどう生きるのだろうか。大人たちは他人の子供たちにどう接するのだろうか(同テキストより抜粋)」

ようするに、僕がずっとひっかかっていたのは僕と清太が同じだと感じていた部分なのだ。僕は今34才だが、たぶん30才くらいまで僕は快・不快を対人関係や行動の基準にしていたと思う。戦時中なら清太のように死んでいただろう。今は戦時中でないにしろ、初めて『火垂るの墓』を見た時から僕はこの映画に「快・不快を対人関係や行動の基準にしていたら死んじゃうかもよ?」と言われ続けていたのだと思う。そしてそれをずっと理解できなくて、心のどこかにひっかかり続けていたのだと思う。はっきり言って目をそらし続けてきたことなんだ。30才までの僕が感じていた生きづらさや息苦しさはここのところにあったんじゃないかと思う。どうですみなさん、これを読んでくれているあなたが何才でどんなことを感じている人かは分かりませんが、清太に着目して『火垂るの墓』を見てはいかがでしょうか?「節子の死が悲し過ぎるから」なんて言って映画から目をそらしてはいませんか? 本当はもっと見たくないものがあるのだとしたら、それが僕をずっと捉えていたもので、この映画のすごいところのひとつなのだと僕は思うんです。それを知ってもらえたらいいなと思ってこの文章を書いています。

ちょっと話題を変えよう。

原作は野坂昭如氏の自伝的な直木賞作品で、高畑 勲監督による1988年劇場公開の映画。太平洋戦争で空襲を受けた神戸を舞台に、孤児となった14歳の清太と4歳の妹節子の儚い逃避行の物語。宮崎 駿監督『となりのトトロ』と2本立ての同時上映だった。

今でこそ社会的認知度の高い『トトロ』と『火垂るの墓』だが、この2本立ては企画が起ち上がった時点から順風満帆ではなかった。まず『トトロ』に当時ジブリの親会社であった徳間書店の幹部が難色を示した。そこで鈴木敏夫プロデューサーが『火垂るの墓』との2本立てで再提案したが、また難色を示され企画が膠着。しかし『火垂るの墓』原作の版元である新潮社の佐藤亮一社長(当時)が後押しし、『火垂るの墓』は新潮社が製作することが決まる。佐藤社長が徳間書店の徳間康快社長(当時)に直接電話し、二つの出版社が共同するという異例のプロジェクトがスタート。しかし『ナウシカ』や『ラピュタ』の配給会社である東映が「社風に合わない」と上映を断る。そこで徳間社長が自ら東宝に赴き直談判をし公開を取り付けた。この時徳間社長はこの2本立てを配給しなければ、徳間書店が製作総指揮を務め、東宝配給で公開予定だった超大作『敦煌』を引き上げるとまで言ったそうだ。「オバケとオハカで当たるはずがない」とまで言われたこの二本立ては、制作スタッフの努力や情熱はもちろん、重要な人物たちが作品の魅力を信じて後押しすることで完成に辿りついたのだった。そしてこの二本立ては二本立てじゃなければ完成せず、お蔵入りしていた可能性が大きいのだ。

そしてそのような中、異例の2班体制で進められた『トトロ』と『火垂るの墓』だが、振り返ると高畑監督や宮崎監督、ジブリにとってとても重要な両作だったのだと思う。それは日本をベースに描いたことだ。『ハイジ』『カリオストロの城』『ナウシカ』『ラピュタ』などこれまではヨーロッパ調のものがほとんどだった。『ナウシカ』『ラピュタ』のようにヨーロッパ調のものを徳間書店や東宝にも求められていただろうし、当然ファンもそれを期待していたことだろう。「オバケとオハカで当たるはずがない」というのはそういうことから言われた言葉だろう。そして奇跡的に上映までこぎつけた『トトロ』と『火垂るの墓』の評価があったからこそ、その後の作品で日本をベースに描くことへと繋がっていったのだろう。あのまま周りのプレッシャーや期待通りにヨーロッパ調のものを作っていたら、『おもひでぽろぽろ』『平成狸合戦 ぽんぽこ』『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』『風立ちぬ』『かぐや姫の物語』等もなかったかもしれない。

同時に制作された『トトロ』と『火垂るの墓』がお互いに影響を与え合って高め合っていったという話もある。『火垂るの墓』の作品分数がどんどん膨らんでいくことに対して、『トトロ』の分数を伸ばすために当初登場しない予定だったサツキを出してエピソードを膨らませたこと。メイが畑できゅうりをかじるシーンでは、本当はトマトを食べさせたかったが『火垂るの墓』で既に清太がトマトにかぶりつくシーンがあったため、きゅうりにしたという話。清太が節子を、お母さんがサツキの、どちらにも髪をとかすシーンがあること。等々。経済的にも2本立てじゃなければ成立しなかったが、内容的にも2本立てじゃなきゃこうはならなかった両作だったのだ。(この辺のことは文藝春秋の文春ジブリ文庫の『トトロ』と『火垂るの墓』に書いてあるので興味がある人は読んでみると面白いと思いますよ。)

話を『火垂るの墓』に戻します。映画の最後の方で「埴生の宿」(はにゅうのやど)という曲が流れます。「埴生の宿」は、原題「Home! Sweet Home!」というイングランド民謡だそうです。映画の中では疎開先から帰ってきた良家の子女たちが蓄音機でこの曲を流します。歌詞は英語です。どんな意味の歌詞か知っていますか?

'Mid pleasures and palaces, Tho' we may roam; Be it ever so humble, There's no place like home;

宮殿での享楽もあろうが 粗末なれど 我が家にまさる所なし

A charm from the skies Seems to follow us there, Which, seek through the world Is ne'er met with elsewhere.

そこでは天からの魅惑漂う 世界中探せど他に変わる所なし

Home! Home! Sweet home! There's no place like home! Oh! there is no place like home!

愛すべき我が家よ 我が家が一番 我が家にまさる所なし

ちなみに、日本語のタイトルにある「埴生(はにゅう)」とは、「粘土性の土の雅語的表現」で、「埴生の宿」とは「土で塗った、みすぼらしい家」のことだそうです。

疎開先から帰ってきた良家の子女たちが自分たちの家を指して「愛すべき我が家よ」という気持ちで聞いているシーンですが、それと同時に防空壕を我が家として暮らしはじめ、死んでしまった清太と節子の「愛すべき我が家よ」をも意味しているわけでしょう。方や生き、片や死に、そのどちらもの気持ちとして「愛すべき我が家よ 我が家が一番 我が家にまさる所なし」と歌が流れるのです。

本が好きな方で原作の小説を読んだことがない方は読んでみたら発見があるかもしれません。野坂昭如独特の文体で書かれていて(町田康が好きな人には合うかも)、決して読みやすいわけではないけれど、短いのでそんなに大変ではありません。原作と映画で違う個所もあります。例えば節子が死んだ後、清太はおばさんの家まで行ってあるものを見つけます。

節子は4才です。僕の娘が今同じく4才なのです。節子と自分の娘を見比べて感じることがあります。それは、節子が随分子どもらしくない子どもだということです。母が恋しくて夜泣きするシーン等もありますが、ほとんどわがままを言わない。栄養失調で死ぬ直前でも「また、ドロップなめたい」と言うのです。清太に「そばにいて」と言うのです。わがままなどと呼べないようなものばかりなのです。時に清太を心配して母親の様なことを言うシーンもあります。野菜泥棒をして殴られ、あまりのみじめさ、悔しさで泣いている清太に「具合が悪いの?病院行って注射してもらう?」と言うのです。子どもが子どもであることが許されなかった、子ども自身が子どもであることを自分に許さなかった時代なのでしょう。

さて、いろんなことを書いてきましたがそろそろ終わりです。この文章を読んで、「悲しくて二度と見られない」という人も好きな人も、もう一度見ていろんなことを感じて考えてもらえたなら僕は嬉しいです。こんなに長々とがんばって書いた甲斐があるというものです。

今、日本では「憲法9条」「安保法制」「普天間基地移設問題」などの議論が活発になっています。高畑勲監督も宮崎駿監督もそれらについてたくさん発言しています。ジブリが出している小冊子「熱風」8月号にも書かれています。

当然ながら、高畑監督や宮崎監督と違う意見でもいいんです。その前に、「興味ない」「分からない」「どうでもいい」などと感じている方がいれば、目をそらさずに、快・不快だけにとらわれず、自分の中で答えが定まらずとも感じたことについて考えてみてほしいと思います。そして選挙に行ってみてほしいです。そうだ、僕も昔は「興味ない」「誰が当選しても同じ」って思ってました。どこから、どうして変わったんだろう。

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