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屋久島

先日屋久島へ行った際、

雨対策に新しく買った防水カメラ「RICOH WG-4」で撮ってみた。

雨に濡れた木々や苔がきらきら光り、霧は緑色に見えた。

元木こりのガイドさんに案内してもらいながら屋久島の森を歩いた。

その時のことを思い出して散文詩を書いた。

「月夜の森」

屋久島の森を歩いた。月夜だった。前日の雨に濡れた草が、コケが、木の葉が、緑という緑が月の光できらきらと光っている。時折、霧がたちこめる。緑色の霧。

屋久島の森を歩く。もくもくと、もくもくと。足音も小さくどんどん山を登る。

縄文杉は樹齢4千年以上だという。昔々、コブだらけで曲がりくねった杉は木材として使えないという理由で、切られずに残ってしまったのだ。そして、森の母として、たくさんの子どもを残した。朽ちかけた切り株から無数の小さな彦ばえが生えてきている。

杉の平均寿命は1才だという。ほとんどの杉の子どもたちが死に絶える。自然界は弱肉強食だなどと言う人もいるが、本当は適者生存だろう。環境に適したものが生き残る。木材にならないような木が4千年も生き残る場合もある。たぶん、その種が生き残っていれば、個体が死のうと問題ではないのだろう。個は全、全は個というわけだ。

これは屋久島の木こりに聞いた話だ。森には山神様がいるらしい。山神様は女の姿をしている。ある日、木こりは高い木の上から誤って落ちた。激しく身体を打ち付け、全身が複雑骨折した。山の上からヘリコプターで病院に運ばれ、緊急手術を受けた。身体中に数十本のボルトを埋め込まれ、一命を取り留めた。どうやら木の上から落下した際、別の木に当たったのがクッションとなり、ダメージが軽減されたのが良かったらしい。

木こりは言う。「あの時、朦朧とする意識の中で、山神様を見たんです。たぶん山神様が助けてくれたのです。」

退院した後、木こりは、クッションとなった木を訪れ、酒を供えて感謝の気持ちを伝えた。すると、身体の中から空に向けてシューッと何かが抜けるのを感じたと言う。山神様が木こりの身体の中に入り、守っていてくれたのだろう。

木こりは言う。「本当に驚きました。すごく感謝しています。・・・でも、こんなこと言うと怒られるかもしれませんが、山神さまはけっこうブスでした。」

その木こりから、山歩きのアドバイスをもらった。「転んで下に落ちる時は、笑いながら落ちるといいですよ。アーハッハ!ってね。笑うと身体の筋肉が緩むので、打ち付けた時にケガが少なくて済みます。アッ!となって身体を強張らせると、打ち付けた時の衝撃が大きくなって、かえってダメージが増えます。」

木こりは木から落ちる時、笑いながら落ちたのだろうか。アーハッハ!と。

平均寿命1才の杉の子どもたちは、笑いながら死んでいくことができるだろうか。木材として切り倒されていった真っ直ぐで美しい杉たちは、笑いながら木こりの斧を受けただろうか。樹齢4千年の縄文杉は笑いながら朽ちていくだろうか。山笑う。生きているとか死んでいるとか、あまり境がない。僕は笑いながら落ちていけるだろうか。個は全、全は個。僕という個が死んでも、人間という種が生き残っていればそれで良いと、笑いながら悟れるだろうか。アーハッハ!アーハッハ!と。・・・たぶん無理。でも忘れないようにしよう。

月夜、屋久島の森を歩く。前日の雨に濡れた草が、コケが、木の葉が、緑という緑が月の光できらきらと光っている。時折、霧がたちこめる。緑色の霧。

歩く。歩く。僕は歩く。死んでいない。

歩く。歩く。笑いながら歩く。

アーハッハ!まだ死んでいない。

アーハッハ!生き残ってしまった。

ふふふ。

ふふふふふ。

月の木洩れ日が揺れていた。

どこまでも、どこまでも白い影。

踏みしめて歩く。

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