できないことが増えるのも成長のひとつ
- 山本鷹生
- 2014年9月23日
- 読了時間: 3分
義理の母の還暦祝いという事で、2泊3日でディズニーランドとシーへ行ってきた。
帰りの電車の中で妻にこう聞かれた。
「何が一番楽しかった?」
これはどのアトラクションが一番楽しかったか聞いているわけで、
それにも答えてからこうも答えた。
「どれも楽しかったけど、なおちゃん(3歳の娘)の反応を見ているのが楽しかった。」
そのなおちゃんの反応というのは、
アトラクションできゃっきゃっとして楽しい!というものではない。
幼児用のアトラクションだって基本的に全て「こわい!」と言って乗らない。
なおちゃんが乗りたいと言って列に並んだメリーゴーランドでさえ、
順番が回ってきた瞬間に「乗らない!」と言って列を外れた。
家族たちは「えー!?」と言って苦笑。
唯一乗ったアトラクションは「スモールワールド」。
やはり怯えてずっと僕にしがみつき、時々ちらっと周りを見る程度。
そんなに怯えておきながら、
船から降りるとけろっとして「楽しかったねー」なんて言っていたから不思議だ。
以前、ネットで読んだのだが、
「できないことが増えるのも成長のひとつ」というものがあった。
暗闇に怯えるのもそう。
感覚が発達して、暗闇に対して恐怖心を持ち、その結果怯えるのも成長のひとつなのだろう。
動物的感覚から言えば暗闇に恐怖を感じるというのも生きていく上で必要なものだろう。
親たちが子どもにさせたい楽しみ方と子どもがしたい楽しみ方は違うこともある、と思った。
親たちはなおちゃんをアトラクションに連れて行って一緒に楽しみたいが、
なおちゃんはアトラクションを怖がる。
なおちゃんはむしろ、アトラクションでもない、動かない機関車のオブジェに乗ったり、
他の子どもたちと遊んでいる方が楽しそうだった。
なんなら、何もない空き地で走り回っているだけで楽しそうなんだから、腑に落ちるものがある。
わざわざアトラクションに乗らずとも、
ディズニーランドの中でベビーカーに乗っていることが既に
アトラクションよりアトラクションぽい視点だったのじゃないだろうか、とも思う。
最初の答えに戻ります。
「どれも楽しかったけど、なおちゃん(3歳の娘)の反応を見ているのが楽しかった。」
急に無言になったなおちゃん。
15分くらい無言が続いたので、具合が悪くなったのか?と僕は心配しました。
立ち止まって「どうしたの?」と聞くと「うんち出る。」との返事。
あの無言は便意を感じていたのだ。
実はうんちを2日間溜めていたなおちゃん。
おむつの中にうんちをすると「すっきり~!」と言って晴れやかな表情。
その後、祖母と祖父に両手を引かれてトイレに行ったのですが、
異様に膨らんだズボンのおしりをぷりぷり振りながら歩く後ろ姿が可笑しかった。
歩きにくそうに、がにまたで。
子どもと一緒にいて思う事はたくさんある。 何かをさせるのも、させないのも、教育というものは基本的に考え方の押しつけだと僕は思っている。 やってはいけないことを教えるのはもちろんあるんだけど、
親たちが子どもにさせたい楽しみ方と子どもがしたい楽しみ方は違うこともあるのだから、
そういうことを忘れたくないと思っている。
子どもに限らず、そっと寄り添うことができたらいいのだけれど、それがなかなか難しい。
ゆっくり時間をかけて成熟していくものなのだろう。
ビックサンダーマウンテンに並んでいる間、雨が少し降ったんだけど、虹が見れた。

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